科学理論の確からしさはどう決まるのか?

科学の確からしさとは?

科学理論は仮定に過ぎない

 ある科学理論が正しいということを、完全に証明することは不可能です。当たり前です。科学理論は、数学ではありません。数学的に正しくても、現実と違えば科学理論としては間違いです(数学ですら矛盾がないと証明できないのですが)。

 かと言って、現実と合うかどうかを確かめることでは正しさは証明できません。いくら現実と合うデータの数を増やしても、正しいことの証明にはなりません。

 「光速度不変の原理は立証されていない!? それがどうした?」でも説明した通り、理論の基本原理とか法則は、あくまでも仮定に過ぎません。

 現在、正しいとされている科学理論は、間違っていることが(まだ)証明されずに生き残っている理論です。せいぜい、科学者の間で「確からしいね」という合意がある程度固まっている程度のものです。

光速度不変の原理は立証されていない!? それがどうした?」から引用します。

「基本原理から得られる結果が実験値があうかどうかを確認していき、実験値と整合する結果が積み重ねられることで少しずつ「確からしさ」が高まっていく、これが物理理論です」

 このことをもう少し詳細に説明していきましょう。

理論と実験は車の両輪

 科学理論は、現実の物理現象を表すものなので、実験値や観測値と整合性が必要です。

 どんなに綺麗な理論でも、実際の現象と矛盾していれば間違いです。

 実験値を理論で説明する、理論を確かめるために実験する、というように、両方が絡み合って科学は進歩していくものです。

観測値、実験値の確からしさ

 理論だけでなく、観測値や実験値も正しいことを証明することは(理論的には)不可能です。有名な科学者が「こんな実験結果が出た」というだけで信用される訳ではありません。

 実験方法の詳細を確認して、「その方法で正しい値が出るのか」「見逃してる点はないか」「その方法での実験値にはどの程度の誤差があるか」など、他の科学者たちがチェックします。

 それをクリアしても「正しい」とは言えません。

「実験にミスがあった」「装置が本当は設計通りではなかった」ということもあり得ます
「データのねつ造」の可能性もあります。それは、実験方法をいくら詳細に検討してもわかりません。

 ですから、他の科学者たちも同じ実験を行います。そして、同じ結果が再現されていくにつれて「このデータは確からしいね」と確からしさが高まっていくのです。

 再現実験をした人たちが全員データをねつ造していたとしたら、どうしようもありません。しかし、そこまで疑うと何もできなくなるので、ある程度のところで「確かだろう」として次に進みます。

 当然、科学者にも疑い深い人とそうでない人がいますので、ある時点で全科学者がいっせいに「正しい」と合意する訳ではありませんが。

 有名な科学者の実験だからといって簡単に信用される訳ではありませんが「確からしい」というのは感覚的なものなので、無名の人の実験結果より有名で信用されている科学者の実験の方が、確からしいと思われることはあるでしょう。

 ちなみに、これを満たすことができない実験は、科学の対象にはなり得ません。例えば、超能力などです。間違いや見逃しがないだろうという方法で採られ、何度やっても同じ結果がでたというデータが存在しません。

 これでは、理論の構築はできません。超能力があるのかどうかは別として、現状では科学の対象にはなり得ないのです。

理論の確からしさとは?

 理論の確からしさは、実験データの確からしさよりも複雑です。でも、何も難しいことはありません。自分なら、どんな場合に「確からしい」と思うのか考えてみればいいのです。

 色々例を挙げてみますので、どんな場合に確からしさを感じるのか考えてみて下さい。

理論の確からしさは何で決まるのか?

既存のデータとの整合性

 理論に求められる最低限の資格は「既存のデータと矛盾がないこと」です。すでに知られている確からしい実験データが説明できなくては話が始まりません。

 ちなみに、「既存のデータと矛盾がないこと」というのは、その理論が適用できる範囲のデータに対して、理論値がデータの誤差範囲内で一致するということです。
 ネット上で自分の理論を展開している人たちの中には「こう考えれば、説明できる」という説明だけで矛盾がないと主張している人がいますが、科学の世界ではそんないい加減な説明は認められません。

 科学者は、既存のデータと矛盾する理論を新理論として提出することはありません。少なくとも、本人は矛盾がないと思っているから発表するのです。
 ただし、見逃している部分もあるかもしれません。その理論に矛盾がないのかどうか、他の科学者たちも確認して初めて「矛盾なさそうだ」となるのです。

 ちなみに、新しい理論を提出したからといって、他の科学者が確認してくれるとは限りません(実験データも同じです)。興味を惹かない論文をわざわざ確認するほど暇ではありません。そもそも、その論文を目に知らなければ、確認も何もありません。

 実際に、発表された当時は無視されて日の目を浴びず、後の時代になって初めてその有用性が知られることなった論文も沢山あります。

理論の形式

 既存のデータと矛盾がない理論がいくつかあったとしましょう。その中で、どんな理論が確からしいと感じられるでしょうか?

科学理論はどうあるべきか? オッカムの剃刀」でも説明しましたが、アドホックさ、仮定の少なさというのはひとつの基準です。

 十個の既存データを説明するときに、十個の仮説が必要な理論と、ひとつの仮定だけで十個全てが説明できる理論があれば、後者の方が確からしいと思えます。

 多くの仮説を恣意的に組み合わせれば、既存のデータを説明できる理論は作れるでしょう。でも、明らかに人為的に感じます。

理論の単純さ、美しさ

 この辺りは感覚的なものになりますが、同じ現象を説明できるのであれば、単純で美しい理論の方が何となく正しそうに思えます。

 理論が単純とか美しいかというのは、正しさとは何の関係もないし、人によっても意見が分かれると思われるかもしれません。その通りです。

 しかし、自分が科学者だったと考えてみて下さい。いくつかある理論の中で、どれを元に自分の研究を進めていくかと考えるときに、自分が「単純で美しい」と感じた理論を選択するのではないでしょうか。

 科学的ではないようにも思えますが、個人的に「正しそう」と思うかどうかは、単純さや美しさが大きなウェートを占めます。

 ちなみに、ここで言う「単純さ」「美しさ」は、主に数学的な構造のことを指します。

予言と検証

 既存のデータと矛盾がないというのは、最低限の資格です。それだけでは正しいと言えません。「既存のデータと矛盾がない」ように作ったというだけのことです。

 しかし、その理論から「こういう実験をすれば、こういう結果が得られるはず」という結論が導かれたとしましょう。
 そして、実際に実験をして予言通りだったら、確からしいという気になるのではないでしょうか?
 単に既に知られていたデータに合うように理論を創っただけでなく、未知の現象が予測され、それが実験で検証された、この方が確からしさ大幅アップです。

 そして、そのような結果が積み重なっていくと、だんだん確からしい気になっていきます。

 科学理論では、今まで知られていなかった現象を予測する予言能力と、それを実験で確認できること、そのふたつが非常に大切です。予言、検証ができない理論は科学理論ではないとも言えます。

 しかし、理論が進化するにつれて、実験での検証ができなくなってきているのが現状です。だんだん難しい時代になってきています。

予言の内容

 予言が検証されたとしても、その内容によっても確からしさは大きく違います。その理論でなくても同じ結果が予想されるもの、当たり前の予言、そんなものは検証されても理論自体の確からしさは上がりません。

 逆に、予言が他の理論からは想定できないような突飛なものだったらどうでしょうか? それが検証されたら確からしさ大幅アップです。突飛であればあるほど効果が高くなります。

 どんな予言なのか、これも確からしさを決める上で大事な要素です。

実験精度

 確からしさは実験精度にもよります。理論からの予想値が250だったとしましょう。実験には必ず誤差があります。実験を行ったところ誤差を考慮して200~300という結果が得られたとします。予測通りと言えば予測通りです。

 他の理論とか常識では、「この値は0になるはず」とか「一億程度の値になる」というものであれば、このくらい的中すればかなり確からしいと言えるのですが、何かぱっとしませんね。

 もし、これが高精度で実験できるものだったとします。理論からの予測値が250.48642907で、実験値が250.4864290~250.4864291だったとしたらどうでしょうか?
「すげー、当たってる!」と思ってしまいます。
 これだけで、「この理論は正しい!」と思ってしまうほどです。

 実験精度というのは理論の確認にとって、非常に重要だということがわかります。多くの科学者が精度よく実験する方法を日々考え続けているのはこのためです。

現在正しいと認められている理論

現在正しいとされている理論は、現在の実験精度でも矛盾が現れていない

 科学理論はあくまでも仮説で、絶対に正しいことが証明できません。ただ、現在正しいとされている科学理論は、このような検証をクリアしています。未だに、実験値との矛盾が見つかっていないから生き残っているのです。

 実験値と矛盾がないというのは、理論値と実験値が実験誤差の範囲で一致しているということです。実験精度は飛躍的に向上しています。誤差範囲がどんどん狭くなっているのです。それでも、その範囲内に理論値が収まっているのです。

 相対性理論が間違いだと主張している人が沢山います。もちろん間違っているかもしれません。しかし、少なくとも特殊相対性理論については検証結果は膨大ですし、年々精度が高まる実験に対しても矛盾がでてきません。特殊相対性理論を織り込んだ量子論の実験値と理論値の一致などは驚異的です(非常に高精度の実験が可能なので)。

 特殊相対性理論にとって代わる理論があれば、その理論からの計算値はかなり広い範囲で相対性理論の計算値とほぼ一致する構造になっていなければなりません。

 相対性理論も量子力学も、ある範囲ではニュートン力学とほぼ同じになるという構造をしています。これと同じです。ただし、現在の実験精度から考えると、もっと高レベルでの一致が求められることは間違いありません。

個人的に確からしさを感じるのは

 ここまでは、科学の世界の話です。それ以外にも、あくまでも自分の中だけですが「正しそう」と感じることがあります。

 実際に膨大な数の実験結果を入手して、分析して、理論値と比較することができればいいのですが、専門家でもありませんし、そんな時間はありません。

 ですから「正しそう」と感じるのは、あくまでも自分の感覚に過ぎません。非科学的だと言われることを覚悟の上で、どんなときに「正しそう」と感じるのか説明したいと思います。

 まずは、理論の単純さと美しさ

 上でも述べていますが、これなら個人的に感じることができます。ただし、理論の美しさというものは、ちょっと理論を聞いただけで感じることができるものではありません。
 少なくとも私の場合は、その理論を理解しようと四苦八苦して初めてその美しさに気づくことができます。ぱっと目の前の霧が晴れていくような感覚です。そのとき「この理論は本物だ」と(勝手に)感じます。

 それ以外には、悩みに悩んだ末に分かったときでしょうか。

 私のレベルでは、理論に矛盾があるように感じることが多々あります。悩んだ末、自分のミスや見逃していた点に気づき、それを考慮することで矛盾が解決すると、正しそうだと感じます。
 解決できないと思えるほどの大きな矛盾が、ちょっとした見逃しを考慮し直すことで見事に解決し、計算結果がぴったり一致する、その瞬間「この理論凄い!」「この理論は本物だ」と興奮します。
 矛盾が大きければ大きいほど、悩めば悩むほど、この興奮は大きくなります。

 で、私自身がその感覚を多く感じたのが、特殊相対性理論と熱力学です。このふたつだけは、絶対に間違いのない宇宙の真理であって欲しい、そう思っています。